10/29

人間あまりにも困ると逆に笑ってしまうらしいです。


クラスの女子の闇に頭突っ込んで覗き見してきた(させられた)うえに、その話の張本人と話してた人にホールドされた移動教室の道はちょっとした苦行でした。

あまりにも困りすぎてリアルに爆笑したくらい。

私が1人で勝手に笑っててもツボのおかしい人で通ってるので特に変な顔はされませんでしたがもうあんな目はごめんだ。


イデアスケッチが大幅に前進したようです。

一年生もすでに数人本塗りに入ってる以上少しペースあげる必要がある。


またもや精神状態はうんこです。人間は遠くから眺めてるくらいが一番いいのかもしれない。こういうこと思ってるから友達いないんだよ。


今日から現代文で「こころ」です。原文と言っても漱石先生が生まれてからもう153年も経っているんですね。先生はほぼ古典と言いました。

あまりに長いので教科書の「こころ」は一部抜粋なのですが(それでも他の読み物よりダントツで多い)こうなるとフルで読みたくなるものです。しかし青空文庫で長編小説読む気にならないのは私だけでしょうか。長くなればなるほど紙媒体で読みたくなる。

週末にでも本屋で買ってこようかな。夏にKADOKAWA夏フェスで特装版が売られていた気がしますがもうさすがに夏じゃないので置いてないでしょうね…


「しかし君、恋は罪悪ですよ」という一節が「こころ」の中の一節と知りました。

この言葉だけはぶんあるに浸る前から何故か知っていましたが、実際にこの台詞が出るところを読むのがとても楽しみだったのです。

恋は罪悪。先生の過去を知ってから声に出して読んでみて、また文字を追ってみて、ものすごく重たい一言だと思います。


一言というか、鋭いストレートを鳩尾に入れられたような(入れられたことないけど)感覚。

こういう瞬間はごくまれに起こります。最近だと、太宰治の「葉桜と魔笛」の「死ぬなんて、いやだ。」ですね。

わたしは元来、あんまり感受性の強くない方だと思っています。何かを読んで感動するということもなく、お涙頂戴もふーん。で済ませてしまう。

だからこそ、こういう一撃はよく効くらしいですね。


本格的に社交性が消え失せようとしている。

もともと持ってた非社交的、内向的、偏屈を練り固めたような性格が強くなってきているような気がするのです。

本当に自分は疑り深くて困る。

何に対しても一度は疑わなくては気が済まなくなっていて、それに焦りを覚えています。

この人は本気で言ってるのか?この人本当は私のことなんか嫌いなんじゃないの?そうやって考えて、そのうちにそういえば私のことを好きな人間なんか存在しないんだった。私にこの世に最初からいなかったんだな。存在できないものが生まれるはずがないや。と。

いつもそこに辿り着くことにも疲れました。

いつからか、周りとの間に見えない膜を作っていた気がする。

拒絶することはできるのに、拒絶されることは嫌なんて、虫が良すぎる。


長々と変なことをくっちゃべってしまった。

夕飯は妹のカレーでした。明日はパワポと延々格闘する予定です。