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低気圧で頭痛いやら眠いやらなんなんだ。


体がダメすぎて一日中しんどかった。

雨そのものは好きだし雨音も好きだけど低気圧はきらいです。


抜き打ちの剣道の型テストあったけど攻守ちゃんとできてよかった。

エクスカリバーを使えるようになりたい。


空想の世界にいるのが一番楽しい。

物語の世界のことを考えていると色々な想像ができる。

この小説のコミカライズなら、わたしならあそこをああ描写しただろうな。とか、なんとなくこの人はこんな見た目な気がしていたけど、なるほどこういう見た目だとしっくりくるな。とか、この小説のモデルはなんだろう。とか。傲慢だけど。


わたしはまだ未成年で浅学だし、まだ頭の中の好きなものを並べておくおしろには空室が多いんだと思う。

整理能力も未熟だから、好きなものの部屋にも嫌なものが紛れ込んでいたりとか、何故かきらいなものだらけの部屋があったりとか。

そういう、きらいなものの部屋がたまに主張を強めてくるんでしょうね。しんどい時期には。


自分でその部屋にふらふら入っていったりするんですよ。本当にしんどいと。追い出したはずのきらいなものの部屋に。


私が好きなのは、寒くもなく暑くもない快適な温度の部屋。生活音のたまにする適度な静けさ。ゆったりくつろげる椅子。

なつかしい喫茶店、小学校の図書室、押し入れの中、誰もいない美術館。

そういう好きなものがたくさん詰まった、いつでもくつろげる頭でいたいと切実に思うのです。


最近美術の顧問に教わったある話があって、「石膏像のデッサンをしたり、人物画を描いていたりすると、モデルは他人であるにも関わらず、何故か描いている人間が自分に似てくることがある」というもので。


人物デッサンはだれかを通して自分を見つめ直すことでもあると思っています。この人は睫毛が長いな。この人はここに黒子があるんだな。この像は筋肉質だな。その全てに、「わたしとくらべて」っていう主語が隠れてる。


「わたしとくらべて」画面の中に生まれた人物は、奇妙なことにわたしに似ている。

不思議な話です。


この原理は創作キャラにも当てはまると気づきました。

創作キャラは、ひとりの人間を作ることだと思っているので、そのためにはリアルな人間の成分を取り込んでいじって出力する、という作業をします。

自分が一番よく知るリアルな人間は自分そのものなので、必然的に自分の成分が意図せず勝手に多く入ってる。


中の人が一番強いのは丹生さん。


気づいて自分でもぞっとしました。


見た目も性格もそこまで似ていないのに、奇妙な親近感があるんですよね。

部分部分で似ているんだと思います。

偏屈なところ、怒りっぽいところ、面倒くさいところ、執着するところ。

自分の中の負の感情を押し詰めたら彼ができました。

わたしの悩みも、側から見るとそういう人、そういう性格としてものでしかなかった。

だから少しだけホッとしました。


見た目は完全に趣味です。和服着たい。



この際説明しちゃおう。


梵さんは普遍的な美の象徴です。

顔を描くとき、リアルな人間と言うよりは絵画の中の女性を思い浮かべてます。

多分頻出はラファエロの大公の聖母。

好きなんですよね。ラファエロの聖母。ものすごく美しいのにどこか儚げで、初めて拝みたいと思った。

テーマ的には「初恋の彼女」です。清楚で美しくてちょっと幸薄そうな感じの。そして絶対にその思いは成就しない。


渕さんはこんな人生があったらかっこいいな!の妄想をひっくるめたら生まれた。

趣味がガンガンに詰まっています。

長唄とかそういう趣味。

名前の元ネタは静御前。しづやしづ〜の和歌でもっと好きになった。


千鳥は永遠の子供。

勝手にピーターパンを思い浮かべています。

永遠に成長しないのに心だけは変に透徹しているアンバランスな子供。

物理法則を裸足で踏み越えていくタイプの人ですね。非現実的なことが起こっても彼に諭されたらうーんそんなもんかな?と流せてしまうタイプの。

運動能力については完全に私の願望です。


片喰さんは、ある人間の人生を描きたかったため。

文字にしてみれば物語じみて現実感のない出来事でも、そこにいる人間はそれを全て経験した上で、たぶんその人と同じ地点にはいません。ひとつ上の地点。

そういった意味での人間性の剥離、それによって生じる気味の悪さを描きたくてつくりました。





最後に。


今日テンション高いね!