11/2
低気圧で頭痛いやら眠いやらなんなんだ。
体がダメすぎて一日中しんどかった。
雨そのものは好きだし雨音も好きだけど低気圧はきらいです。
抜き打ちの剣道の型テストあったけど攻守ちゃんとできてよかった。
エクスカリバーを使えるようになりたい。
空想の世界にいるのが一番楽しい。
物語の世界のことを考えていると色々な想像ができる。
この小説のコミカライズなら、わたしならあそこをああ描写しただろうな。とか、なんとなくこの人はこんな見た目な気がしていたけど、なるほどこういう見た目だとしっくりくるな。とか、この小説のモデルはなんだろう。とか。傲慢だけど。
わたしはまだ未成年で浅学だし、まだ頭の中の好きなものを並べておくおしろには空室が多いんだと思う。
整理能力も未熟だから、好きなものの部屋にも嫌なものが紛れ込んでいたりとか、何故かきらいなものだらけの部屋があったりとか。
そういう、きらいなものの部屋がたまに主張を強めてくるんでしょうね。しんどい時期には。
自分でその部屋にふらふら入っていったりするんですよ。本当にしんどいと。追い出したはずのきらいなものの部屋に。
私が好きなのは、寒くもなく暑くもない快適な温度の部屋。生活音のたまにする適度な静けさ。ゆったりくつろげる椅子。
なつかしい喫茶店、小学校の図書室、押し入れの中、誰もいない美術館。
そういう好きなものがたくさん詰まった、いつでもくつろげる頭でいたいと切実に思うのです。
最近美術の顧問に教わったある話があって、「石膏像のデッサンをしたり、人物画を描いていたりすると、モデルは他人であるにも関わらず何故か対象が自分に似てくることがある」というもので。
人物デッサンはだれかを通して自分を見つめ直すことでもあると思っています。この人は睫毛が長いな。この人はここに黒子があるんだな。この像は筋肉質だな。その全てに、「わたしとくらべて」っていう主語が隠れてる。
「わたしとくらべて」画面の中に生まれた人物は、奇妙なことにわたしに似ている。
不思議な話です。
この原理は創作キャラにも当てはまると気づきました。
創作キャラは、ひとりの人間を作ることだと思っているので、そのためにはリアルな人間の成分を取り込んでいじって出力する、という作業をします。
11/1
久しぶりに楽しかった。
妹と行った量販店で布面積が2センチくらいしかない下世話なパンツを見つけてテンションが勝手に上がり、その帰り生のキャベツ一玉を持たされて帰る。キャベツを叩いてリズムを奏でてたら表面テカテカになって怒られました。
午後、ブルーハムハムのガチャガチャをしに出掛けたところ友達と予定が合ったので急遽ふたりでお出かけでした。
ガチャ、残り3つだった。セーフ。
可愛すぎてあ〜〜〜〜〜……………としか言えないしFGOのアーケードを初めて見つけてテンション上がるし下ネタ連発だし総じて一日中テンションおかしかった気がする。
友達の彼氏のノロケ話に付き合わされたり学校生活の話したり進路の話したり。
サーティーワンのアイスも久々に食べた。ミニオンバリムシャア。
わたしのよくいく店が詰まってるショッピングモールはちょっと遠いので一度にガンガン買い物してしまう。
友達とアロエベラの効能について延々話したり、いろんな店にフラフラ立ち寄るのも多かったから随分時間がかかりました。
読書家で勤勉な友は相変わらずキレキレだった。
「こころ」も無事入手。
家に帰ったからは今日が楽しくて始終機嫌がいい。
来週からは模試やら公欠やらでまたどたばたしそうです。
これからコンクールも忙しく、テストも迫り来る中で少しの間でも息抜きができて良かったと思います。
あと1ヶ月ちょっと、精神がギリギリまですり減ることは目に見えてるので、ここで少しでも楽しくできたらいいな…
10/31
あと2分で31日終わるって時に描いてます。
今日は青い満月の日らしいですね。こう聞くと必ず殺戮の天使の話?ってなるので、ザックに殺されてえ〜ってぼやきながら外に出ましたが曇りで月見えず。無念。
今日は精神が本当に刻まれた。
まず、いい感じのアイデアスケッチができそうなところで襲いくる偏頭痛お前はだめだ。
朝から部活に遅刻しまくる上に、後輩はほぼ全員ガンガンカンバスに下書きを進めていくし、先生がわたしのアイデアスケッチに「う〜〜んまあとりあえず描いてみる?」と納得しきってくれなかったのが悲しい。
自分の才能のなさに叩きのめされた1日でした。
だめ!ってこき下ろすならこき下ろしてほしいしいいならそれいいね!って褒めてほしい。これはわたしが強欲なんだと思います。
先生からしてみれば、おそらく意見も言わなければ目も合わない愛想もないへんな生徒なのでしょうが、やっぱりわたしからの歩み寄りはもう少し必要らしい。
嫌われてると思います。
先生と仲良しの後輩が純粋に羨ましい。
別の高校で美術部をしてる後輩も一年の子も友達と励まし合ってやってるみたいですけど、本格的に美術部の2年生部員がほぼいなくなりました。
もともと少なかったのが、1人消え2人やめして気づけばわたしひとりです。
だれかに応援してほしいけど、だれかに応援頼めるような性格じゃない。
難儀な性格だなあと自分を眺めて思います。
劣等感もネガティブもへんなプライドも負けず嫌いもコミュ障も、人一倍強いとろくなことがない。
この中のどれかは捨てたい。
だれかに言葉を負けるのが苦手で、そのくせ誰かを励ましたいというへんな正義感はあるのです。このギャップでおかしくなりそう。
この人はいつも元気だなあと思う人、すきだなと思う人を勝手に偶像に祀りあげて勝手に心の支えにしだす癖があります。
これは本当によくないです。だれかに自分の情緒丸投げしてるんだし。
その人が悩んでるところを見ると勝手にわたしまで落ち込むから意味がわかりません。
自分で預けた情緒を狂わされて自分で落ち込むな。
こんなもん読まないでくださいね、本当に………………
つくづく面倒な人間だと思います。
だれかこれが病気ってことにしてくれれば諸悪の根源はなくなるんですけどね。
眠ってる間に絞め殺してくれればいいのに。
これも全て一過性なので朝になれば大体は治るのですが夜になると再発します。これもよくわからない。
嫌なことがあったので、明日はブルーハムハムのガチャガチャを回しに行って、ついでに「こころ」を買ってきます。気晴らしになると幸いですが。
10/30
当日書くのをすっかり忘れていた。
のでこれは31日に書いております。忘れっぽくてやだね。
相変わらず高校美術展は一進一退、全然進みません。後輩の神絵師の書いたキャンバスを眺めて美しい…と拝むことで精神の安定を保っている。
授業のパワポも足踏み状態。調査結果が出揃ってないのでパワポに打ち込めないのとまだ集計終わってないし原稿も書き終えてない。泣きたくなる。
日本史でこの間平安時代やってたと思ったらもう鎌倉幕府も中盤まで来てるので時の流れの早さに驚く。きっとすぐに受験なんか来るんだろうな。
ここのところ学校と家の往復の日々です。帰りが遅いのでコンビニに寄れる余裕もなくとうに暗くなってるので夕日を眺めることもできません。最近の下校中の娯楽はもっぱら星を数えることと月を眺めること。
音楽を聴いてた時もありましたが帰り道歌に熱中しすぎて後ろから接近している運動部に気づかなかったあの日からやめました。
この間ふと見た夜空では、まだ7時前で全天に上がりきってないというのもあると思いますが、まだオリオン座は確認できませんでした。冬の大三角も同様。
去年は帰り際に見えた気がするのでもう少し冬が深まらないと早いうちには出てこないのかもしれません。
早く見られるといいな。
前に同じようにしてカッパの袖を転がる滴をながめてたら標識にぶつかって怪我して怒られたので危険は少なからず伴う。楽しいからいいんですが。
着物はいまだに着られておりません。なんか涼しくなるどころかどんどん寒くなってる気がするのはわたしだけでしょうか。押入れで眠っている不憫な着物から目を逸らしつつこれを書いてる。
やりたいことはいっぱいあります。
新しい化粧品だって買いたいし着物も着たいしだれかと遊びにだって行きたい。でもそうするには足りないものが多すぎるし現実的な問題も覆いかぶさってくる。
すべてをやっつけるにはやっぱり時間と年齢とお金と度胸がないんですね結局は。自分はまだまだ子供なのだと痛感。
自分のやりたいことを自力で解決できる人間になりたいです。
10/29
人間あまりにも困ると逆に笑ってしまうらしいです。
クラスの女子の闇に頭突っ込んで覗き見してきた(させられた)うえに、その話の張本人と話してた人にホールドされた移動教室の道はちょっとした苦行でした。
あまりにも困りすぎてリアルに爆笑したくらい。
私が1人で勝手に笑っててもツボのおかしい人で通ってるので特に変な顔はされませんでしたがもうあんな目はごめんだ。
アイデアスケッチが大幅に前進したようです。
一年生もすでに数人本塗りに入ってる以上少しペースあげる必要がある。
またもや精神状態はうんこです。人間は遠くから眺めてるくらいが一番いいのかもしれない。こういうこと思ってるから友達いないんだよ。
今日から現代文で「こころ」です。原文と言っても漱石先生が生まれてからもう153年も経っているんですね。先生はほぼ古典と言いました。
あまりに長いので教科書の「こころ」は一部抜粋なのですが(それでも他の読み物よりダントツで多い)こうなるとフルで読みたくなるものです。しかし青空文庫で長編小説読む気にならないのは私だけでしょうか。長くなればなるほど紙媒体で読みたくなる。
週末にでも本屋で買ってこようかな。夏にKADOKAWA夏フェスで特装版が売られていた気がしますがもうさすがに夏じゃないので置いてないでしょうね…
「しかし君、恋は罪悪ですよ」という一節が「こころ」の中の一節と知りました。
この言葉だけはぶんあるに浸る前から何故か知っていましたが、実際にこの台詞が出るところを読むのがとても楽しみだったのです。
恋は罪悪。先生の過去を知ってから声に出して読んでみて、また文字を追ってみて、ものすごく重たい一言だと思います。
一言というか、鋭いストレートを鳩尾に入れられたような(入れられたことないけど)感覚。
こういう瞬間はごくまれに起こります。最近だと、太宰治の「葉桜と魔笛」の「死ぬなんて、いやだ。」ですね。
わたしは元来、あんまり感受性の強くない方だと思っています。何かを読んで感動するということもなく、お涙頂戴もふーん。で済ませてしまう。
だからこそ、こういう一撃はよく効くらしいですね。
本格的に社交性が消え失せようとしている。
もともと持ってた非社交的、内向的、偏屈を練り固めたような性格が強くなってきているような気がするのです。
本当に自分は疑り深くて困る。
何に対しても一度は疑わなくては気が済まなくなっていて、それに焦りを覚えています。
この人は本気で言ってるのか?この人本当は私のことなんか嫌いなんじゃないの?そうやって考えて、そのうちにそういえば私のことを好きな人間なんか存在しないんだった。私にこの世に最初からいなかったんだな。存在できないものが生まれるはずがないや。と。
いつもそこに辿り着くことにも疲れました。
いつからか、周りとの間に見えない膜を作っていた気がする。
拒絶することはできるのに、拒絶されることは嫌なんて、虫が良すぎる。
長々と変なことをくっちゃべってしまった。
夕飯は妹のカレーでした。明日はパワポと延々格闘する予定です。
10/28
生理前だからかテンション死んでますね。
自分のおかしさを思い知る。
どういうわけか、誰かと本当に親身になって意見をぶつけ合うということができません。
どんなに熱中して話していても必ずどこかで諦めた顔をしてる自分がいる。
どうせおまえは忘れられている。この人にとってはどうでもいい群衆のうちの1人。ただ熱弁するへんなやつ。
そういう声が今日は大きいらしいのです。
そういうやつなので、仲良く話した人にもう一度声をかけるのにものすごい勇気を要します。群衆のうちの1人に声を掛けられることは自分にとって恐怖だから。その恐怖を相手にも押し付けてしまうらしいです。
たまにそいつが出てこないハイな時は理性を失ったみたいにテンション高く話しかけてしまうことがあります。でも後日それを見直すと復活したやつが散々責めてくるのでもう見られないし見たらすぐ消し去る。
このテンション落差。
ハイな時とダウナーな時との落差が激しいのはもはやどうにもならない。
ただ、今はどうしようもなく人間がきらいです。
人の考えていることも誰かの常識もわからない。
人の出す生活音、話し声、それだけで苛々が募る。
誰かの機嫌の悪い声や怒った態度、苛ついた声が怖い。
誰かと一緒にいることに年々嫌気がさす。
人のいる空間がうるさくてしかたない。
「常識でしょ」って言われるのがきらい。
あなたにとっての常識がそうでも、私はあなたの普通を知らないから。
わたしは、側から見るととても変な人らしいです。
知的も3回くらい疑われてうち2回は病院まで行った。でもシロでした。
私の力ではどうにもならない病気だって言ってくれればまだ言い訳ができるのに、私は今日も周りに馴染めない変な人のままなのでした。
いい風の吹く夜だったのと、夕ご飯の芋天がホクホクで美味しかったので少しだけ元気になりました。